||本展に至る経緯 ||
◉ 塀越しに隣り合う両校
武蔵野美術大学と朝鮮大学校は壁一枚隔てた隣り合う位置関係でありながら、長年表立った交流はありませんでした。
2011 年武蔵野美術大学の学生だった灰原千晶による朝鮮大学校の寮に暮らす朝鮮大生との関係性をテーマにした作品「渡れるかもしれない橋」をきっかけに朝鮮大学校美術科からのアプローチもあり、朝鮮大学校美術科と武蔵野美術大学袴田京太朗ゼミとの交流が始まりました。
◉ 断続的な交流(合同展の開催)
2012 年には同じ作り手としてなぜ作るのか?というテーマ設定をして武蔵野美術大学の課外センターで有志展も行いました。その後断続的な交流があり、2013 年袴田京太朗 企画による展覧会「この場所にいるということ」、2014年「孤独なアトリエ」が武蔵野美術大学 FAL にて開催されました。2014 年の展覧会は朝鮮大学校美術科のギャラリーでの巡回展も行われました。
朝鮮大学校:
1956 年に創立。日本で唯一在日朝鮮人の民族教育が行 われている朝鮮総聯下の大学校。教育学部 ( 教育学科、 保育科、音楽科、美術科 )、政治経済学部、文学歴 史学部、理工学部、外国語学部、経営学部、体育学部、 短期学部の 8 つの学部があり、全寮制。
武蔵野美術大学:
1929 年帝国美術学校として創立。多摩美術大学の前身 の多摩帝国美術学校の分離独立を経て、1961 年に現 在の本部のある鷹の台にキャンパスを設置、翌年武蔵野 美術大学として大学設置。
|| 開催趣旨 ||
武蔵野美術大学と朝鮮大学校は、50 年以上も前から一枚の塀を隔ててずっと隣り合って存在してきました。
今回の展覧会は 両校の学生と卒業生からなる「武蔵美×朝鮮大 突然、目の前がひらけて」制作委員会により、近年表立った交流のなかった両校を隔てる塀に橋を架けるというプロジェクトを核に企画がなされました。
橋の架設に際し本展制作委員会は両校との協議を重ね、展覧会の運営資金と橋の架設費をクラウドファンディングサービス READYFOR により募り実現を目指してきました。
◉ 私たちの間にある隔たりとは、何か
今回の展覧会には武蔵野美術大学 FALと朝鮮大学校美術 科展示室という2 つの会場があり、それぞれ両校を隔てる塀越し に位置しています。橋は両校の展示室をつなぐ装置として双方の学生たちが協働し、展示期間中にのみ架設します。
「武蔵美×朝鮮大 突然、目の前がひらけて」 制作委員会は 橋の架設をめぐり対話を重ねてきました。橋は隔たりを越えていくも のであると同時にその隔たりが「何」であるのかを問いかけます。 垣根を取り払って話し合うという比喩表現がありますが、実際の塀というものが単に敷地を隔てるものではなく、双方の立場を明確にし、違いをあえて強調するものであるならば、それは取り払ってはいけないものです。
武蔵野美術大学と朝鮮大学校の両校について考えるとき、しばしば象徴的に捉えられる両校の境界にある塀は、みえない向こうの風景に対しての好奇心を刺激する塀であったり、自分の生活圏を区切る行き止まりの塀であったり、今はまだ気付けていないあやふやな自分の居るべき場所をとりあえずここだと示してくれる場所を守る塀であったりと、本展の出品作家たちの間でさえ、その塀の意味するところは異なっています。
出展作家の一人である鄭梨愛は、「閉塞する『塀』がときには何かから守る『壁』にもなるように、反面その安心感から脱しなくてはならないと思うこともある」と言います。相手の言葉に耳をすまし、考えをめぐらせること。この展覧会は、割り切れない複雑さごとそれぞれの塀越しの対話 を提示しようというものです。橋を渡ることで視界がひらけますが、その先になにが見えるかは私たちもまだわかりません。
会場では、橋の企画が立ち上がってからの対話や進行過程を辿ることで展覧会自体のアーカイブのリプレゼンテーションを展開しつつそこでの体験を経た作家たちの作品を展示しました。

2015年11月13日金 ---11月21日土 10:00 --- 18:00
11月15日日 休廊
Suddenly,the view spreads out before us.
突然、目の前がひらけて
武蔵美×朝鮮大

무사비×조대 돌연,눈앞이 열리고